淡路島 / 淡路島西洋野菜園 柴山厚志さん、美紀さん夫妻

セトレ神戸・舞子のレストランで野菜を食べて驚くのが、野菜そのままの生きた味がすること。甘み、苦み、野菜の豊かな美味しさを味わえます。その野菜を淡路島で育てているのが淡路島西洋野菜園の柴山厚志さん、美紀さんご夫妻。レストランに向けて、野菜やハーブを年間150種類も栽培する柴山さんの農園を尋ねました。

多品目露地栽培で150種類の野菜を育てる

淡路島と四国を結ぶ鳴門海峡がかかる南あわじ市。車を走らせると辺り一帯たまねぎ畑が広がります。季節によっては、窓から玉ねぎの匂いが漂ってくるほど。淡路島産玉ねぎの約8〜9割が、南あわじ市で栽培されています。

この地域で西洋野菜やハーブを育てている柴山さんの畑には、あまり目にしたことがないさまざまな種類の草花、植物が植わっています。どれも食べられる野菜やハーブです。

「黄色い花がいっぱい咲いているこれは、ルッコラの野生種です。自生して野生化しているのですごく辛いですけど、肉料理などに合わせるとすごく美味しいんですよ。これはプルピエ。日本ではスベリヒユと言って畑の雑草です。食べると酸味があるでしょう?酸味や苦味のある日本の野菜は少ないけど、西洋野菜には多くて。苦みや酸味を好む料理人も結構いますね」

足元に育つ野菜を丁寧に教えてくれる柴山さん。その柔らかな眼差しから、野菜を大切に育て愛でていることが伝わってきます。人工的な設備を使わずに、農作物が育つ季節に合わせて露天の畑で栽培する露地栽培で、イタリア野菜やフランス野菜など年間150種類もの野菜を育てています。野菜は主にレストランに卸しています。

「シェフがうちの畑にきてくれたことがあり、私も店舗に行ってどういう料理でどのような野菜を求めているか理解したお店に卸しています」

関西圏と淡路島のレストランを中心に、東京や横浜、長野、名古屋の店舗とも取引しています。

「最初は『シェフがこういう野菜を使うだろうな』という野菜を作りはじめて。種類が多いので、シェフのお店の料理を食べたり、写真や本を見て研究して『あそこのお店はああいう野菜を送ったら喜ぶだろうな』というので順々に種類が増えていきました」

野菜がこの土地に合ってくる

柴山さんの畑の一角には、苗を育てるための自作の温床があります。この温床は山から採ってきた落ち葉や米ぬかなどを発酵させた熱を利用して育苗する昔ながらの方法で、1~2月の一番寒い時期にトマトやナスなどの夏野菜を育苗しています。電気を使わず70度まで温度が上がるそう。柴山さんは、そういった自然の恵みを大切にした栽培法によって年中野菜を出荷できるようにしています。

「固定種の種を購入して栽培し、種の採れる野菜は自家採種しています。これを毎年繰り返していくと遺伝子が受け継がれて、だんだんこの土地の環境に合ってきて、この土地の野菜になるんです」

逞しく生命力に溢れる野菜つくりにこだわった少量多品種の栽培。柴山さんの畑は、虫や微生物など多くの生命の豊かな循環や生態系があり、それによって野菜本来の美味しさを引き出しています。

「強い野菜だけが育って生き残るんです。弱いのは虫がついたり自然淘汰されて枯れます。強くて良い野菜は、ここの自然の味がするんですよ。ワインなんかでは味わいの決め手になる、土壌や気候などを含めた土地の性質をテロワールと言いますが、その土地の味がする。そういう意味だとこの畑はテロワールじゃないですかね」

柴山さんの畑では自生する植物もあります。育てて花を咲かせて、種がこぼれて自分で命をつないでまた自然に生えてきます。

「うちの畑では、作物にものすごくたくさんの虫が群がって枯れてしまうことがあるんです。でも不思議なことに、その横では全く虫がつかない元気な作物もいる。同じ野菜でも、強い子もいれば弱い子もいて、自然界の生き物たちにはそれが解るんです」

弱いもの劣勢なものは滅び、強いもの優良なものだけが生き延びる、それが自然淘汰なんですと語る柴山さん。そして、もう一つ重要なことがあると続けます。

「それは地球上の生命、人や動物、魚、植物、虫や菌類、さまざまなバクテリアまで、多様な姿の生物が存在する生物多様性です。生きものはどれも自分一人、ただ一種だけで生きていくことはできません。多くの生命は他の多くの生物と直接関わり、初めて生きていくことができるのです」

40代半ばからの新規就農
不安はなかった

もともと飲食の仕事を10年、写真の仕事を13年していた柴山さん。バブルがはじけて写真の仕事に転身後、「やっぱり食の仕事のほうが好きだなあ」と気づいたのが40代半ば。年齢的に飲食は厳しいかと悩むなか、あるきっかけが訪れます。

「30 代の頃に一緒に働いていた後輩が淡路島で農業を始めたんです。彼がレストランの野菜を作っているのに興味を持って」

後輩は野菜を育てる傍、養鶏や養蜂など淡路島の暮らしを謳歌していました。

「すごく楽しそうに暮らしていて、すごく生き生きしていたんです。その姿を見て、お金の不安はありましたが妻と2人なんとか食えればいいなという勢いで。不安よりも期待の方が大きかったですね」

後輩の紹介で淡路島に渡った柴山さん。新規就農だと良い農地に巡り合うことも難しい中、彼の後押しもあり、1年農業を学びこの土地に巡り合いました。

「借りる6〜7年前から除草剤も何も使われていない農地でした。農薬や化学肥料を使っている土地は転換するのに大変ですが、ここは最初からすごく良い作物ができました」

それからは、柴山さんと同じように農業を目指す若者を研修生として受け入れています。

「本気で有機栽培・自然栽培をやりたいという若者を応援するために受け入れています。これまで参加した研修生は島内で就農していますね」

美味しい野菜は、自分が一番知っている

「シェフへ野菜を発送するとき、シェフからのオーダーはあまりないんです」。当初はオーダーリストを作っていましたが、量も金額もリクエストしないシェフからのオーダーがきっかけで「美味しい野菜は私が一番知っている」と、今では柴山さんが目利きしたものを各レストランに届けています。

「常にお店ごとのメニューにあう野菜を考えて作付します。種類も増えるけど、それが面白い。シェフのことを考えて野菜を作って、それでお店に食べに行ってまた感動する。それを続けて150種類まで増えました。シェフに育てていただいていて、チャレンジできる環境があります。普通は新しい品種はどう売ろうとなりますが、うちはこの野菜ならこのシェフが使ってくれると思うし、商品になれば全部売れます。だからこんな小さい畑でも2人暮らせるくらいの売り上げが出るんです」

旬の野菜はもちろん、採れたてから収穫終わりまで時期で味が変化する野菜に合わせて、最大の美味しさを引き出せるシェフ相手だからこそ届けられる。柴山さんの飽くなき探究心はシェフとの信頼を築き、シェフの料理や好みなどをノートにぎっしりとまとめています。

「どのお店に何を送るか、日々発送する前日に書き出します。例えば人参を100本抜いたら100本テーブルに並べて、このサイズはこのシェフ、このシェフはお肉の付け合わせでこれくらいだと選別します。欲しい人のところに欲しいものを届けるのが大事なんです」

次の世代に受け継ぎながら
この島で暮らしていく 

柴山さんの野菜を私たちも購入できるのが、淡路島で定期開催されているオーガニックマーケット「島の食卓」。オーガニックの野菜や食材を扱う淡路島界隈の作り手たちによって開催されているマーケットは、大きなテーブルで食卓を囲み、手づくり感と温かみのある市です。

「島の食卓は、島内の色々な生産者さんやオーガニックを目指している人たちと横のつながりができることも嬉しいですね」

淡路島にはここ10年ほど神戸や関東から移住者が増えて、農家や作家などさまざまな人が移り住んでいます。「神戸で仕事をしていたら出会わなかった人たちと巡り会えて、刺激を受けますね」

柴山さんは、今後どう持続可能に農業を続けていけるかを構想しています。

「今と同じペースで70〜80歳まで続けるのは体力的に難しいなと。地元の農家さんは昔から農業をされて体ができていますけど。もう少しコンパクトにしたいなと思っています」

研修に来る若手の人たちにも、そばで就農できるような中山間地へ移転する予定も。

「将来的にはもう少し面積を減らして、品種もさらに特化していきたいですね。若い人が作れるものは任せて、僕は這いつくばって野草を集めているかも。自宅に果樹を植えてみたりもしてみたいし。歳を重ねてもこの島で暮らせるようにしたいなと思っています

あらたな可能性の種を撒きながら、これからも島の土地の味がする豊かな野菜を届けていきます。