光洋製瓦株式会社/開発室 室長 笹田裕子さん

姫路城から北上し生野銀山へと向かう道中、「銀の馬車道」と呼ばれた道があります。生野銀山で採掘された銀を山から港まで運ぶ道として活用され、明治時代に栄えた沿線。この道でひときわ輝くのは、銀は銀でも「いぶし銀」です。全盛期には40社以上の製造業者が瓦を製造し、一大産地として賑わった姫路市船津町。今回、訪ねたのは船津町で100年以上瓦をつくり続けてきた光洋製瓦(こうようせいが)の笹田裕子さん。瓦の製造にとどまらず、形や素材を工夫しながら、インテリアとしての可能性を追求し続けています。

より強く、より美しく。

いぶし銀に輝く、屋根をつくり続けて。

光洋製瓦さんは創業1920年、大正時代から100年以上にわたって瓦を製造し続けてこられた瓦の窯元です。

「姫路市船津町で瓦を製造していた会社は40社以上ありましたが、現在残っているのは光洋製瓦の一社のみ。もともとは姫路城の城主が瓦づくりを命じたのがはじまりです。溶質の粘土が多い土地で、その特性を活かして1800年頃から瓦づくりがはじまったと聞いています」。

今回、お話を伺ったのは笹田裕子さん。6年前から、実家の家業である光洋製瓦に加わり、開発室室長として新しい瓦の商品開発や公報を手がけられています。

「私たちの瓦は“磨き”と“焼成”を大切にしています。いぶし瓦の渋いシルバーのような輝きは炭素の膜なんです。職人の手作業で表面を極限までなめらかに整えることで、表面に美しいいぶし銀をまとうことができます。また、通常1日か2日で瓦を焼くところ、私たちは4日かけて焼き上げていきます。ゆっくりと窯の中の温度をあげてから、最高温度を長く保ち、じっくりと自然冷却。そうすることで目の詰まった下地ができて、割れにくい瓦ができあがるんです。一枚一枚手をかけ、耐久性がありつつ、美しく輝くいぶし銀の瓦を仕上げています」。

光洋製瓦さんは、瓦の製造だけではなく施工も手がけられています。

「瓦をつくるところから、瓦を葺くところまでを請け負っています。50年、100年と風雨に耐える屋根づくりをするには、数ミリの微調整が必要です。瓦をつくる業者と、瓦を葺く職人が別だと、微妙な加減が難しいところ。ですが、製造も施工も一社で一貫して請け負うことで、その微調整が可能になります。より強い瓦屋根をつくろうと、光洋製瓦が昔から大切にしてきたところです」。

世界遺産「姫路城」、

大天守を守る、屋根瓦。

光洋製瓦さんは2009年から始まった姫路城大天守閣の「平成の大修理」にも深く携わられました。

「大天守に使用されていた瓦は全部で8万枚。葺かれていた瓦を一つずつ降ろし、打音検査をしながら選別。再利用できた瓦とそうでないものをわけ、新たに必要な瓦の枚数を割り出します。姫路城の瓦は、古くから残ってきた瓦と、修復でつくられた瓦とが混在しています。ものによって、大きさや角度も違うため、それらをすべて計測して、綿密な施工図面を起こさなければなりません。膨大な瓦と向き合った3年間でした」。

また、姫路城のシンボルでもある鯱瓦(しゃちほこがわら)を手掛けたのも、光洋製瓦さん。山本瓦工業さまと共同で製作を担当されたのだそうです。

「鯱の復元は、職人が培ってきた長年の知恵と技術の集大成。大きな瓦になればなるほど、焼成による伸縮度が増すため、土の状態や乾燥の仕方で、微妙に仕上がりが変わってしまうんです。鬼瓦は屋根の部材。天守閣を守り、百年と耐えうる屋根にするためには、1ミリ、2ミリの誤差さえ許されません。技術と経験を重ねてきた鬼師、構井俊一郎が製作に携わり、無事に2012年の4月に設置が完了しました」。

鬼師として姫路城の屋根づくりに携わった構井さんのお父さまもまた、光洋製瓦さんの鬼師だったのだそうです。姫路城前の城見台公園にある鯱は、先代の作品。親子で受け継がれてきた技術を、姫路城の鯱瓦として実現。後世へいくつもの財産を残す、平成の大修理を果たしました。

100年つないできた技術を、

こうした質の高い瓦を、100年以上にわたって製造してきた光洋製瓦さん。6年前、笹田さんが光洋製瓦さんに加わった頃、瓦を次の100年につなぐチャレンジがはじまっていました。

「時代とともに住宅は洋風化。屋根材として瓦が活用されることが少なくなり、需要はがくんと減っていました。その流れのままに、100年かけて培ってきた技術を途絶えさせていいわけがありません。そこで、新たな活路を見出し開発されたのが壁材の“ARARE”でした」。

ARAREは、正方形の小さなピースが大小組み合わさったプレート。様々な大きさのピースの凹凸で、味わいのある雰囲気が生まれます。

「屋根瓦は色ムラなく、均一に焼き上げたものが評価されます。ですが、かなり鍛錬をつまなければこの技術は習得できません。この課題を逆手に取ったのがARARE。色むらやグラデーションが味になる壁材として商品が開発されました。このARAREが起点となり“KOYO IBUSHI”シリーズの企画がはじまり、現在では10種類以上のインテリアマテリアルが生まれました」。

瓦の技術を伝承しながら、新たな可能性を広げた“KOYO IBUSHI”シリーズ。セトレハイランドヴィラ姫路ではこのARAREをアレンジした、オリジナルの食器を製作いただいています。

「当初は、瓦のプレートをつくれないかという相談でした。ですがいぶし瓦を食器として使うとなると、油やソースがシミになってしまいますし、他にも課題が多く難しいご依頼だなと考え込んでしまいました。しばらくして『ディッシュオンディッシュはどうでしょう?』とご提案をいただいて、そこからARAREをアレンジした食器をご提案することになりました。お料理をいただきに伺って、ARAREの表情をうまく広げてくださっていることに喜びを感じました。また新しい可能性が広がった瞬間でした」。

「こんな素材も新たに誕生しました。瓦の重たいイメージを払拭する、超軽量いぶしモザイクです」。

パリのメゾン・エ・オブジェにも出展して、これからどんどん世界にアピールしていこうとした矢先。新型コロナウィルスの感染拡大が世界規模ではじまり、力を入れてきた海外での展示などは軒並み中止に……。

しかしこれで留まらないのが、光洋製瓦さん。これをチャンスととらえ、このタイミングでできることを考え動き続けています。

「このタイミングで、ずっと着手しようと考えていたコーポレートサイトを一新しました。KOYO IBUSHIシリーズはもちろん、私たちが手掛けてきた仕事がひとつひとつ見えるようなウェブページになりました。動けなくてもできるところから、可能性を広げていければなって。光洋製瓦の職人さんも、社員も、ひとりひとりが力を出し合い、前に進んでいます」。

光洋製瓦のみなさんが切り開く瓦の新しい可能性。力強く未来へ受け継がれ、次の100年も光洋製瓦の瓦が輝き続ける姿が見えるようでした。