淡路島/北坂養鶏場/北坂勝さん

セトレ神戸・舞子の朝食で食べられる卵は、淡路島産。実は珍しい純日本鶏の卵です。家業を受け継ぎ、伝えることに目覚め自身も変化してきた、北坂養鶏場の北坂勝さんを訪れました。

純日本鶏「さくら」と「もみじ」

淡路市育波地区、淡路島の西側、草原と細い道を走り海が見える小高い場所に北坂養鶏場はあります。ケージ飼いの大きな養鶏場と、すぐ近くに直売所と平飼い小屋を併設しており、到着すると元気な鶏の声が聞こえてきます。

代表の北坂勝さんに案内されたのは、コンテナの直売所に併設された鶏の平飼い小屋。ふさふさと美しい毛並みの、ふくよかな10羽ほどの鶏が歩き回っています。

「うちでは常時14〜15万羽の鶏を育てています。大人の鶏が10〜12万羽。大人になるまでが残りの数です。1日10万個くらいの卵が生まれます」

北坂養鶏場が育てるのは、純日本産の鶏。白い鶏が「さくら」、茶色の鶏が「もみじ」。卵もそれぞれ白い卵と茶色い卵を産みます。実は、日本の鶏で養鶏しているのは国内でわずか4%。ほとんどが海外からひよこを輸入し外国の鶏を養鶏しています。日本で産むので卵は国産です。

「海外の鶏の卵が美味しくないということではないんです。鮮度もあるし、生産性も海外産の鶏の方が高い。でも意外に日本人に日本の鶏の卵が届いていないのがもったいないなと思って」

鶏の餌は、遺伝子組み換えをしていないトウモロコシにこだわり、生まれる卵のおおよそ半分は、大阪のパルコープに卸しています。

「生協のお母さんが子供や家族に食べてもらう卵は、日本の卵で餌も安全なものであってほしいと。飼い方のリクエストもあり、皆さんと作っているという感覚です」

取材中、私たちも卵を採る体験をしました。産卵する部屋には、産みたての卵が並び、そばでイキイキと歩き回る親鶏たち。普段食べている卵のはずなのに、手に取る産みたての卵はとても特別に感じられ、思わず笑みがほころびます。

「パルコープの大阪のおばちゃん達を案内したら、まだ食べていないのに『産みたてや美味しそー!誰にもやらへんでー!』て言うんです。体感してもらうことで、美味しさが生まれるなら、伝えることって大事だなと思うんです」

卵の生産から、土の循環までを担う

北坂養鶏場では、平飼い小屋とケージ飼いの両方を案内します。平飼いの場所のほうが、案内したお客様が鶏の話をちゃんと聞いてくれるのだそう。

鶏の寿命は約10年、産業動物だと2年も経たず更新されます。一生のうちに産む卵の数は無精卵で400〜500個。人間の女性が一生のうち排卵する卵子の数と同じです。

「ケージ飼いの方が鶏が卵を産むリズムが整っていて、平飼いだと鶏同士が優劣を付け合うことも。鶏にとってどちらが良い環境なのかは、いろんな側面を見る必要があります」

北坂養鶏場では、鶏にとって良い環境づくりを追求し、おがくずを利用した臭いの出ない土も開発しました。鶏糞を分解して堆肥になり「島の土」として販売。淡路島で卵の生産から土の循環まで担っています。

「養鶏の仕事は鶏糞の処理も大変で、匂いがないのは畜産や養鶏に携わる現場では夢みたいなこと。他の養鶏でも喜ばれています。卵だけでなく鶏糞の処理や土に還るところまでのサイクルを案内しています」

命として生まれてくる卵を工業製品のように消費されてはもったいない。生産する側と消費する側の感覚のずれを感じ、北坂さんは「伝える」ことに注力します。

美味しさを、見せる、伝える

「スーパーで卵買うときに、卵を見ますか?どれも同じような卵じゃないですか。本当は鶏がその時にしか産まない世界に1個の卵なのに、背景が見えない。それならここで直に卵を取ってもらったらわかりやすいんじゃないかと思って」

北坂さんは父が亡くなり急に代変わりし、試行錯誤しながら養鶏を学ぶうちに、家業の鶏の飼い方や育て方が当たり前ではないことに気づきます。でも伝え方や表現がわからない時、デザイナーと出会い「伝える方法をデザインする」ことが始まりました。

 10年前、デザイナーに『お客さまはどんなことを期待していますか?』と聞かれても、考えたこともなく分からなかった北坂さん。初めて形になった名刺からはじまり、3年前に直売所、平飼いも行うことに。直売所の展示では、卵に蓋をせず剥製のように立体的にすることで、卵を見せる工夫をしています。

「美味しそうと思って、『何作ろうかな』『誰かにあげようかな』と、そういう気持ちが料理を美味しくするんだと思うんです」

 「ある方に教えてもらったのは、美味しいと舌で感じるのは1割くらい。5割が目で見る情報、残りが耳で聞く情報。それって面白いなと。僕が究極に美味しい卵を作るより、目で見て耳で聞くことに集中した方が美味しさが伝わるのかもしれない」

卵を採る非日常の体験によって、本質を知り美味しく感じる。お客さんに伝わりやすいように変換して伝えていく。

「子供達が見学にきて、持ち帰った卵でお母さんが料理を作り、お父さんにも話をしながら囲む食卓は特別な感じがします。栄養とか利便性など効率的な数字ではなく、卵を採った時のシチュエーションや誰からもらったとか、そういう人の関わりの方がもっと美味しくするんじゃないかと思うんです」

世の中が変わりすぎて、当たり前のことが当たり前じゃい今だからこそ。写真や動画で発信してバーチャルな情報が充実するほど、リアルが際立っていく。そう北坂さんは考えます。

360度の変化が淡路島の見え方を変えた

「昔から『養鶏をお前が継ぐんだぞ』というオーラが強くて、夢もないし養鶏の仕事が好きじゃなかった。イヤイヤこの仕事をして、6年前くらいまでは日本一不幸だと思って生きてましたね」

家業を継続させること、稼ぐことに常に追われていた北坂さん。その頃、島外から淡路島に移住する人が増え、前述のデザイナーをきっかけに移住者との接点が増えていきます。

「当時は美術や芸術もわからなくて、そういう階層で生きてなかった。彼らに淡路島で出会っても『なんで淡路島に来たんやろ。この人らの人生終わったな』と思って。東京のお洒落な仕事を辞めて所得のないような仕事をして、何が楽しいんだろうと。ストレスでした」

この島で生きてきた北坂さんにとって、外からの価値観に対する違和感。自然が綺麗と喜ばれても、自然は昔からあるし、これからもある。夕日は今日も沈むし、明日も沈む。いつでもあるものの何が楽しいのかと、理解できませんでした。

「でも、東京にはない風景や海に沈む夕日は、ここでしか見えない。瀬戸内海で深い海に太陽が沈む景色は、淡路島くらいしか見えないんです。特別なんだと気づいて、この島のすごさや面白さがなんとなく理解できるようになってきて」

そして、次第に北坂さんの意識も変わっていきました。

「休みがないことや汚い仕事が多い面しか見ず嫌でしかなかった。でも平飼い小屋や直売所ができてお客さんが来て喜んでいる姿を見て、すごい恵まれた環境なんじゃないか、幸せやったんやなと思ったんです」

幸せの中にあったはずなのに不幸でしかなかった。幸せなら楽しまなきゃ損だと気づいた北坂さんは、お客さんの興味を持つ方法を探っていきます。周りに刺激も受けながら試してみる。それが今の仕事につながっています。

「よく360度変わったと言うんです。360度って変わらないんですけど、そこしか見ないのと、ぐるっといろんな視点で見えるのは違くて。昔から同じ風景を見てきてるけど、いろんな人の視点に出会うと、面白いことや遊べることは山ほどあるなと。やることは変わらなくても、大きく変わっている。今は1年後何やっているか見えないことにワクワクしています」

お客様に伝えることが楽しい

北坂さんのこれからの挑戦

北坂さんは、神戸のオーガニックマーケット「EAT LOCAL KOBE」をはじめ、積極的に出店も行なっています。

「人に会うのが好きなんです。遊ぶようにして働いています。お客さんからアイデアももらえて、それが次の活動力になっています」

行ってみたい、会ってみたい、聞いてみたいという北坂さんの好奇心が、どんどん新しい可能性に出会わせています。

北坂養鶏場は、加工や配達、販売や餌の仕入れも含めて約40名のスタッフがいます。

「父が亡くなった時、父みたいにいろんなことできる人間じゃなかった。5人くらいで父がやっていたことができればありかなと。できないことを無理しないで、できることはできる人にお願いしています。今度新入社員が5名入るので、彼らに任せられるようなことをしていきたいですね」

同じ場所の同じ仕事でも、意識が変われば出会いが変化し、見える世界も行動も変わっていく。自然体にその変化を受け入れながら、北坂養鶏場の物語は、これからも多様に彩られていきます。