淡路島/大村農園/大村太一さん

淡路島で農業を営む大村農園の大村太一さん。彼が育てた自然栽培の玉ねぎは、みずみずしくて、甘さも格別。セトレ神戸・舞子では、数年前から大村さんのイチジクや玉ねぎを取り扱いしてきました。農への想い、諦めない強さ、そして変化のただ中にいる大村さんの元を訪れました。

良質な土で育てる、大村農園の葉玉ねぎ。

島の日照時間の良さが玉ねぎの甘さを引き出すと言われ、淡路島ではあちこちに特産品の玉ねぎ畑が広がります。瀬戸内海を見渡せる見晴らしの良い立地にある大村さんの畑。総面積は1町(3000坪)にもなり、どれも地元の方から借りたり譲り受けたりしたものです。

「うちの葉玉ねぎは、葉の先まで甘いのが特徴です。これから寒さが増すと、さらに太くなります。鍋にしても、スープにしても、さっと炒めても美味しいです」

「玉ねぎの根っこも食べられますよと」と言われて、取材班一同、採れたて玉ねぎの根っこをそのまま食してみると。確かに玉ねぎの風味が。鮮度のよい玉ねぎでしか味わえないそう。

「うちでは除草剤や殺虫剤といった農薬や化学肥料は使わずに自然栽培で育てているのが特徴です。動物性の肥料は土が分解しきれないこともあるため、うちの農園では緑肥となる植物を育てて土づくりを行っています。そうすると土の状態が良くなり根がしっかり張って植物が健康的であればある程度育ってくれる。大規模にはできないけれど、そういった玉ねぎがほしいという方に向けて販売しています」

肥料も農薬も与えず育てることは、虫の発生や病気のリスクもあり、うまく育たないことも珍しくありません。それでも一貫して無農薬にこだわり農に向き合ってきた大村さんは、今年就農11年目になります。

「昨年やっと淡路島の認定農業者になりました。少しずつ結果が出て、ようやく市も認定してくれたのかなと。10年目にして、やっと農家になれたかなという気持ちです」

就農しても4〜5年で辞める人も多い厳しい農の世界。農地も拡大し、昨年からスタッフも雇い始めた大村さんの表情からは、確かな手応えと、誇らさが滲み出ていました。

試行錯誤の農業を諦めなかった強さ

「無農薬のイチジクを育てたい」という思いを胸に、淡路島に移住し就農した大村さん。木を植え、無農薬で育てはじめ、でも現実は非常に厳しいものでした。

「5年くらいイチジクを育てたけど、望んでいた無農薬栽培は難しく、農薬ありきになってしまって。技術も経験もないから自分が思う農業ができず、最後は台風で木が折れてしまって諦めました」

地域特産品の自然薯を育てた時期もあり、試行錯誤を続ける中、自然農法で玉ねぎを作る生産グループと出会います。玉ねぎはもともと育てていて、徐々に作付面積を増やし、今は自分たちが食べるほどのお米以外は完全に玉ねぎ栽培に移行しました。

これまでの10年の歳月は決して順風満帆ではなく、試行錯誤や失敗を繰り返した先に、ようやくいまのスタイルにたどり着いた大村さん。その芯には、「植物の魅力と、諦めない強さ」がありました。

「農業で挫折するのが嫌だったから、諦められないところに自分自身を追い込んで踏ん張ったところもあります。しんどい時もあったけど、植物の自由さにこっちも自由にさせてもらってきたんです。植物は、育て方次第で状態も変わりますし。もちろん応えてくれないこともあるけど、植物の自由さに魅力を感じてきました」

苦労しても、自然栽培を追求する理由

大村さんが一貫して無農薬栽培にこだわってきた理由を尋ねました。

「無農薬ありきで就農したので、そこに疑問は持ってないんです。どうしても農業がしたかったというわけではなくて。食べ物に対して、土に負荷をかけて汚染する必要があるのかと思って。化学肥料や除草剤を使用すると、微生物が死んで、土に力がなくなります。疲弊して良いものが作れなくなるなら必要ないし、土に負荷をかけない方法が実現できないかと、実験しているんです」

一方で、自然栽培で育てることがどれだけ大変かも身に沁みて痛感してきました。「リスクもあるし、規模や生活するためにも肥料を入れるのもわかるんです」。それでも、農業に限らず、リスクを回避するために色々と手を加えるような社会のあり方そのものにも、疑問を持ってきました。

「そんなことしなくても、モノはできるし作物は育ちます。自然の循環の中で、それが実現できないかというのがずっと自分の中にあって。実現できないなら農業をやめるかという気持ちでいますね」

何度やめかけたことも、諦めかけたことも数知れず。それでも野菜ができて、ほしいと言ってくれる人がいることで、大村さんの実験は継続してきました。

変化を愉しみながら、この島に根付いていく

大村さんに案内されて、農地のそばにある2階建ての倉庫に向かいました。

「最近この倉庫を借りたんです。この先も、生活スタイルの中に畑があるし、絶対農業は続けいく。でも同時に、農業だけじゃない人のつながりで、農産物を売るだけではない何かをここでしていきたいと思ってるんです」

大村さんの中で生まれた新しい風。それは、ここ数年、暮らし方や生き方に興味を持つ人が大村さんの畑に訪れるようになり、説明するよりも共に過ごしてクリエイトするような「人の集まる場所」を作りたいという想いでした。

「休日ここで過ごしてリフレッシュしてもらっても、畑を手伝ってもらってもいい。昨年子供が産まれたので、子供を遊ばせるキッズルームのような場所も作りたくて。人が集まれば何かしら生まれるので、そういう場所を作りたくて。玉ねぎや米作りの設備投資だけはしてきたので、食べ物を作りたい人にも教えられますしね」

植物を育てて生業にし、お金を稼ぐことがどれほど大変かを痛感してきたからこそ、世の中に必要とされることがあればやりたいし、変化したい。ゆくゆくは、家族と知人の家族が食べる分の米と野菜くらいにシフトするのも良いかもしれない、と。「それでも基盤は農業ですから、これからもずっと続けていきます」。

かつて西宮で会社員として働き、心と身体の健康のバランスを崩したことをきっかけに、やりたいことをやる人生にしようと決意、行き着いた淡路島での農業と自然と寄り添う暮らし。これまでは地元でもないよそ者でもない曖昧な立場が居心地よかったものの、最近はその曖昧さが居心地悪いと感じるようになったそう。

「この先、子供も学校に通うし、よりこの土地に根付いて行くのかなと思いますね。淡路島の良さは、訪れた人なら感じると思うけど、開放感とか抜けた感じがありますよね。人にもすごく恵まれています」

北坂農園の北坂さん藤本水産の山下さんとも親しい仲。この先もこの島で、農を軸にしながら、自然の循環のように、変化を受け入れ愉しんでいきたいと思う、大村さんの現在地。

「次のステージにきているんでしょうね。はじめは右も左もわからなかったですから。やっと今が、スタートラインです」