姫路/お米/FARM HOUSE 飯塚祐樹さん

セトレハイランドヴィラ姫路から一望する播磨平野。播磨の山と川の恵みで作られるお米は、飽きのこない味でほかの食材を引き立たせてくれます。この土地ならではの米作りを手がけるFARM HOUSE飯塚さんの田んぼを訪れました。

播磨 夢前町の気候にあったお米「ヒノヒカリ」

姫路市北部、播磨の山々に囲まれたのどかな田園。稲刈りを終えた田んぼを眺めるがっしりとした体格の男性が、米農家FARM HOUSE 飯塚祐樹さんです。

「ここ夢前町は姫路駅から車で約30分。姫路市街とは空気感も全く違うでしょう。すぐそばに流れる夢前川の水も綺麗だし、冬はキンと冷え込んで寒暖差もある。農業にはもってこいの場所やなと思いますよ」
夢前町には、古くから修験者の道場で知られる日本三彦山の雪彦山がそびえ、雪彦山を水源とした夢前川が流れています。辺りの米農家の平均年齢は70歳を越えるなか、40歳の飯塚さんは、若手農家として引退した農家から農地を受け継いできました。
「お米というとコシヒカリのイメージがあるでしょう。でも、僕はその土地に合ったお米が一番だと思うんです。いろんな品種を作って食べて、この地域にはヒノヒカリが一番合うなと。気候が合って、ヒノヒカリは粒も中つぶで、ほんま食べ飽きないお米なんですよ」

16ヘクタールという広大な農地で、ヒノヒカリを中心に10種類の減農薬や無農薬・無化学肥料の米作りを繁忙期以外ほぼ飯塚さん一人で担っています。

コンビニのおにぎりが一番おいしいと思っていた

「米農家になる前は、お米はコンビニのシーチキンのおにぎりが一番おいしいと思ってたんです。本当に!お米のこと、そのくらいにしか思ってなくて」
意外な発言に驚く横で、にかっと笑う飯塚さん。彼が農家になったきっかけは、20代のときのある出来事でした。

「姫路の太市で生まれ育って高校卒業後、大阪に出てふらふらしてたんです。そのときに目を怪我して、実は今も片目は見えません。1年間入院して手術も何度もして、目の怪我だから病院を歩き回れるけれど、おらんといけない。まわりも病人ばかり。その時に、今まで考えたこともなかった健康や食べることの大事さに気づかされたんです」

退院して24歳で農業をすることを決意。神戸市西区の農業学校に1年間通った後、地域密着型農業で減農薬・無農薬のお米や野菜を育てる農業生産法人 夢前夢工房の社長と出会います。

「当時は、自給自足のような農の暮らしを思い描いていました。でも、結婚して子供ができたら、隣の子供よりええチャリンコに乗せてやりたいなと。それならちゃんと仕事として農業の”業”として、生計を立てられる農業を覚えて、その先に自足自給したければその道を選択しようと思ったんです」

そして、厳しく一から教えてもらえそうだと夢前夢工房の研修生の門を叩きました。

「世の中にお米は約900も品種があります。ワインはソムリエが独特な表現をするのに、日本人は毎日お米食べるのにお米のことあまりわかっていない。誰より僕自身がわかっていなかったんですけど」

そんなお米の米作りが面白く、飯塚さんはどんどんのめり込んでいきました。

「お米って栽培方法で味が変わるんです。いつも『顔色を見る』と言うのですが、葉の色を見ながら肥料を入れたり稲の顔色を見ながら手入れをしたりすると、はっきりと差が出てくるのが面白くて。夢前夢工房では、野菜や米作りのノウハウはもちろん、営業から経営まで多くを学びました」

研修3年目で結婚し、初期投資がかかる独立ではなく就職を選択して丸5年。8年後の2012年に独立し就農。社長に分けてもらった3ヘクタールから、FARM HOUSEとしての米作りが始まりました。

顔の見える「ほんまにおいしかった」のために

「スーパーで野菜売り場に農家の写真が貼られていますが、あれだけでは顔の見える農業とは言えないですよね。僕は、飲食店さんでも個人さんでもできれば田んぼにきてもらって、空気感とか匂いとか『あ、こんなところでお米を作ってんねや』と見てもらってこんな話をさせてもらうことを大事にしていて。それを知ってから食べるお米は、安心度合いが違うと思うんです。無農薬とか減農薬とかあるけど、結局は、人と人で『お前の作る米なんだから、まあ大丈夫やわ』と言ってもらえるかなんです」

飲食店や個人、酒蔵などに直接取引して卸すからこそ、重要なお互いの信頼を築くこと。そのためにも、一粒一粒精魂込めて作る田んぼにこそ、足を運んでほしい。飯塚さんがお客さんに届けたいもの、お米を作ることの喜びは、とてもシンプル。

「ほんまに月並みですけど、『おいしかった』と言ってもらえるのが一番。いろんなおいしいがあると思うけど、顔の見える関係で『ほんまにおいしかった』と言われるのが、やりがいだし、やっててよかったとなります。安いお米もいろんな品種もどんどん改良されてるけど、それ以前に”人と人とのつながり”を届けたいんです」

就農して8年。この冬の時期は、春に向けた土壌作りに勤んでいます。

「企業だと40歳は中堅とされますが、農業ではまだまだ若手。それでも次の世代に『農業って面白い、楽しい、こんなやりがいがあるんだ』というのを伝えいきたいんです」

これからの未来を見据えて、さらに若い世代を受け入れていくために、飯塚さんは玉ねぎの作付けなど新しい挑戦も始めています。

農や自然をもっと身近に
夢前町のこれからを描いて

飯塚さんは、日本酒の原料となる酒米作りにも力を入れています。夢前町にある老舗酒蔵「壺坂酒造」とともに、播磨発祥の酒米で有名な山田錦の孫にあたる希少種の愛山という品種を育て、県内外の酒蔵に卸しています。

「山田錦を調べていくと、この辺りでは100年前に『辨慶』という品種を中心に作っていたことがわかったんです。辨慶を復活させようと、一昨年700gの種を兵庫県農業技術センターからいただき、イベントで手植えして400本(500ml)のお酒になる酒米を収穫しました。今後さらに増やしていきます」

また、壺坂酒造とともに日本酒好きの人を対象に田植えや収穫を体験する「播磨日本酒プロジェクト」や、子供達が田んぼで遊ぶ「泥リンピック」など、地域の人たちとともに農や自然が身近になる活動を積極的に行なっています。

「夢前町の人はパワフルな人が多いんです。同世代の若手農家も増えて、ぶどう農家や野菜農家などとの横のつながりもあります。夢前町をどう見せていくか。すぐには形にならないけれど、泥リンピックもそこが原点です。地域ごと巻き込んでいきたい。さらには農業が一つの職業として成り立つように、これからも担っていきたいと思っています」

夢前町の自然の恩恵を受けて、地道に米作りに励んできた飯塚さん。農業の未来、地域の未来を思考しながら、地域の人たちとともにさまざまな活動に取り組む頼もしい姿に、これからも期待が高まります。