オーナーの長田一郎が、SETREと関わりの深い方々と1つのテーマについて語り合う「SETREの未来」。第3回目のお相手は、42年間奈良県庁で自治体職員として勤め、さまざまな地域活性プロジェクトを立ち上げた「スーパー公務員」として有名な、福野博昭さんです。

高校卒業後、18歳で奈良県庁に入庁した福野さんは、「ならの魅力創造課」「南部東部振興課」など12の部署で類稀なる実行力やプロデュース力を発揮し、奈良の街を多様な方法で活性化されてきました。

「セトレならまち」の開業に当たっても、大きなお力添えをしてくださった福野さん。今回はそんな福野さんと「まちおこし」をテーマに、まちおこしに必要なことや大切にしていること、セトレでご一緒する中で得たものなどについて語り合います。

福野博昭(ふくの・ひろあき)
1960年、奈良県奈良市生まれ。平川商事株式会社社長室顧問、総務省地域力創造アドバイザー、元奈良県職員。元知事公室次長・南部東部振興・移住交流担当。高校を卒業後、18歳で奈良県庁へ入庁。以来「ならの魅力創造課」「南部東部振興課」など12の部署で、スピードと実行力、プロデュース力でさまざまな改革と地域活性化を行う。退官前の10年以上は奥大和地域のブランディングに取り組む。42年間勤めた奈良県庁を2021年3月に定年退官。現在、全国の新規事業立ち上げなどに取り組んでいる。2021年9月には初の著書『ライク・ア・ローリング公務員』(木楽舎)を刊行した。

仕事とは「みんなに喜んでもらうこと」

長田:福野さんは18歳で奈良県庁に入庁されてから42年間、自治体職員として活動される中で、地域活性に関するさまざまなお仕事をされてこられました。

著書『ライク・ア・ローリング公務員』の中で、笑福亭鶴瓶さんに「どんな仕事をしているか、シンプルに説明しろ」ということを言われた、というエピソードが載っていましたが、その教えの通りシンプルに説明していただくと、県庁ではどんな仕事をされてきたと言えるでしょうか?

福野:結局「みんなに喜んでもらえること」をやっていましたね。自分のために働くんじゃなく、みんなが喜ぶために働く。それがゴールやなって思っていました。

特にコロナ禍で強くそう思いましたね。自分さえよければいいっていうのは大間違いやなって。例えば遠い国のウクライナやロシアのことだって、めちゃくちゃ自分に関係してくるじゃないですか。逆に言えば、みんなが良くなれば自分も良くなる。仕事ってそういうもんやと思います。

最初、これって役所だけかな?って思ってたんですけど、定年して民間企業に入ってみてから、そんなこともないなと思いました。ホロニックさんもそうじゃないですか? お客さんが喜ばなかったら、やりがいも達成感もないでしょう。サービスをして、お客さんに気持ち良くなってもらうから、こっちも気持ちいい。

長田:はい。本当にその通りですね。

福野:役所も企業もみんな一緒やな、と。利益や数字に対する姿勢は違っても、究極的には「みんなに喜んでもらうこと」を目指している。奈良県庁でやっていた仕事も、そんなことやったなぁと思いますね。

長田:福野さんと僕が出会ったのは、セトレならまちを建てる前だったので、2017年くらいでしたよね。そのころ福野さんは、奈良県の8割を占めている自然豊かな南部・東部を「奥大和」*と名付け、そのエリアの観光振興をされていました。

(*奥大和……奈良県の8割を占める、東部南部地域エリアのこと。豊かな自然の中に集落が点在している。奈良市とは別に観光振興をしようと計画した際、奥野さんが「奥大和」と名付けた。)

福野さんと初めて会ったのは、その一環である「奥大和フェス」でしたね。生産者さんが集まって、奥大和の食や家具が体験できるという。

福野:そうそう。

長田:そのとき福野さん、すごい酔っ払ってたんですよ。共通の知人に紹介してもらったんですが、「ここでホテルやるんです」と言ったら「おお? ここで何やんの?」って感じで。

一瞬チンピラじゃないかな?と思ったんですけど(笑)、名刺を見たら県庁の方で、交流推進室長と書いてある。そのときのことは鮮明に覚えていますね。

福野:あのフェスでは、いつもベロベロなんですよ(笑)。

長田:その後ちゃんと県庁をうかがって、セトレのコンセプトである「地域の資源を活かし、共通の価値観をもつ人々が集う、コミュニティホテル」について説明をしたら、「それなら」とその場でバーッといろんな方にお電話してくださって。「今電話したところ全部回るから、丸一日空けておいてくれ」って言われたんですよね。

福野:もともと付き合いがあって応援している人たちがいたので、すぐ彼らが頭に浮かびました。奈良って山が多いから、林業も多いんですよ。衰退しているけど、みんな頑張っている。そんな奈良の木を、内装や外装、家具なんかで使ってもらえないかなと思ったんです。

それから建築家の芦澤竜一さんも交えていろいろ話をしたり、木が生えている山や製材所に一緒に行ったり、家具を作っている人も紹介したりしましたね。

長田:そうそう。建築家さんと一緒にさまざまな場所を回ったのも、すごくよかったですね。皆さんの話が、本当に心に刺さりました。福野さんの繋がりによって、どんどん座組ができあがっていって、建材も食材もいろんなものが揃っていきました。

福野さんの紹介してくださる方って、皆さんすごく話が速いんですよ。移住してこられた方も多くて、古い感覚の方がいない。敏感にうちのコンセプトに共感して、乗っかってくださる印象でしたね。

吉野杉を使った壁面やオリジナル家具、古石で舗装した床、奈良の土を用いて左官仕上げを施した壁面など、奈良の自然素材をホテル内のさまざまな場所で活用。

福野:みなさん、すごく喜んでいましたよ。それぞれ奈良の中でバラバラに活動していたけど、みんなここに寄せられたっていうかね。でも、正直言ってここまでかっこいいホテルに仕上がるとは思ってなくて、本当に驚きました。出来上がったときは、「ここまでになるとは、さすがやな!」って思いましたね。

奈良はこれまでブランディングがうまくできていなかったんですよ。林業ひとつ取っても、用途がなくてみんな諦めていた。でも、新しい建築にも地元の木材をこんなにカッコよく使えるやんって、セトレが実証してくれた。だから、役所の人間も関係者を連れてよく視察に来るでしょう。かっこいいから、みんなここを見に来る。奈良のモデルになっているんですよね。

長田:確かに、セトレが奈良のいろんな方に知っていただけている感覚はありますね。建築家の芦澤さんとも話していたんですが、やっぱりこの辺りは世界遺産だらけですごい場所じゃないですか。

ここで何かやるんだったら、1000年とは言わずともせめて100年続くくらいのものをやらないとなって話していたんです。そうじゃないと、この場所に失礼だろうと。なので、そんなふうにおっしゃっていただけるのは嬉しいですね。

「友達」としか仕事をしたくない理由

長田:福野さんはこれまで長年「まちおこし」とか「地域おこし」をされてきたと思うのですが、その中で特に大切にされてきたことは何でしょうか?

福野:ひとつは、特徴や違いを消さないことですね。奥大和の振興をやっていたときも、奈良市内と同じようにしていてはおかしいやろって考えてました。

もうひとつは、ちょうどいいサイズ感をキープすることです。例えば、2000人の村にめちゃくちゃ人が集まっても仕方ないじゃないですか。そもそも奈良って団体観光客が少ないんですけど、なぜかというと大きいホテルがないからなんです。

でも、実はそれがちょうど良さを生み出している。たくさん来てもらおうとしてホテルばっかり建ててしまったら、街の特徴や良さが消えてしまう。独自の良さが消えないくらいのちょうど良さを保つのが、重要だと思います。

あとは、そこにあるものにしっかり光を当てることですね。

長田:それは、福野さんのご活動を通じてすごく感じることですね。僕もセトレを通して地域と関わってきましたけど、福野さんと違うのは「余所者」だってことなんですよ。でも、その地域の資産やさまざまな活動を知る中で、こだわりを持っている人との出会いがある。

「田舎である」ということではなく、「こだわりがある」ことに憧れたり触発されたりして、セトレに繋がっているような気がしますね。

福野:奈良県庁にいたときも、「観光や地域振興をやっている奴はもっとあちこち遊びに行けよ」と言っていました。いろんな人、いろんな場所、それを知らんで自分とこだけ見てても、違いなんてわからない

それも、1回行くだけじゃだめ。何回も行って、友達にならんと。そうじゃないとなんも教えてくれへん。だから俺、大変なんですよ。日本中にそんな人おるから、いろんなところ行かなあかん(笑)。

長田:ははは。福野さんは本当に友達が多いですよね。

福野:俺は「友達としか仕事しない」って言ってるんです。コンペして、誰なのかも知らん人と仕事してもおもしろくないでしょう。まず、コミュニケーションをしないと。

長田:福野さんにとっての「友達」って、どういうものですか?

ラウンジに置かれている、奈良の百年杉を使用したテーブル。狭い面積に多くの杉を植えることで、上へ上へと太さを保ったまま成長するため、正目が直線で細かい。

福野:お互いをちゃんと知っている仲、ってことかな。いつも心掛けているのは、自分のことを喋るってことなんです。自分は何者か、何を考えてるのかを相手に伝える。プライベートのことを絶対しゃべらん人ってようおりますけど、そんなんずるいし友達できへんと思いますわ。お互いにある程度知り合わないと、信頼関係はできない。そのためには、まず自分からパンツを脱ぐってことですね。相手だけ脱がすんじゃなくて。そうしてやっと「自分ごと」になる。

長田:なるほど。

福野:よく「福野さんは自分ごととして仕事を楽しめていいですね」って言われるけど、違うんです。自分ごとにしないと楽しくもなんともないから、そうしているんです

この仕事を家族に自慢できるか? 母親が来たらこのサービスをするか? 嫁はんやったらどうしたら喜ぶやろ? それはどこに行っても同じですよ。どんな仕事でもそう。

長田:「友達と仕事をする」ってことが、福野さんにとっては仕事を自分ごと化するための条件なんですね。

福野:でないと「マニュアル」になるし「消化」になる。目の前に来た仕事を全部飲み込むだけ。そうじゃない、飲み込んだらちゃうもん出すくらいの仕事をしないとね

長田:福野さんとご一緒する前までは、僕自身「地域」を過度に意識していたように思うんです。でも、福野さんと仕事をする中で地域も結局「人」なんだよなと気づきました。奈良にホテルを作るからといって、地産地消だったらいいのか吉野杉だったらいいのかっていうと、そんなわけでもない。

福野さんが「友達」とおっしゃっていましたけど、僕も「この人がどういう人か」ってことが重要だなと思うようになりました。「一緒にやりたい」と思うのは地産だからではなく、その人のこだわり、想い、考え方に共感するからなんだよな、と。

福野:確かに、確かに。

長田:僕は常にここにいるわけではないから、セトレの考え方を現場で働く人にどう継承するかというと、やっぱり「繋がり」を作っていくことだと思うんです。地域のものを使っているってことだけでは、思想は根付かない。

福野さんとも1年以上会っていなかったけれど、今久しぶりに会ってもそんな気がしないのは、お互いのこだわりや考え方を知って繋がっているからなんですよね。そういう感覚はすごく重要じゃないかなと思います。

一度知ると、何度でも来たくなる街へ

長田:福野さんは今後、奈良がどんな街になったらいいなと思われますか?

福野:奈良という地域を愛する人が、年に2、3回来てくれる……そういう場所になればいいなと思います。そのためにも、セトレに泊まって奈良の自然や木に興味を持ってもらえたらな、と。それで、奈良市だけじゃなくて、奥大和の方にも行ってもらえたら嬉しいですね。

奈良って、可住地面積割合が日本一低いんですよ。奈良市を中心とした15%の面積に、85%の人が住んでいる。その15%を、みんな「奈良」って呼んでいるんですね。でも実は、そこ以外の場所がめちゃくちゃ大きいんです。

長田:それを聞いたときは、すごく衝撃を受けたし、可能性のある話だなと感じました。そしてセトレならまちでは、まさに今まで着目されてこなかった85%の方にフィーチャーしていこうと思ったんです。

長田:以前、こちらに出向された官僚の方がこんなことをおっしゃっていました。「京都や大阪からこっちに来るのはハードルがある。奈良に来るにはリテラシーがいる」って。だけど一旦奈良のことを知ると、何度でも来たくなるくらい魅せられる。その方はすでにそうなっていて、家族連れで毎週どこかを回っていますっておっしゃっていました。

そうなるとすごく強いですよね。確かに奈良は一見の方にはハードルが高いかもしれないけれど、歴史や自然に触れると、その先にものすごい広がりがある。奈良市だけだと1日2日で回れてしまうけど、実は奥大和という地域もあるのか!というのは、すごい情報だと思うんです。セトレがそれを伝えられる場所になれたらと思いますね。

福野:セトレはシンボリックな場所だから、そうなると思いますよ。あと、奈良ってフリーゾーンが多いんですよ。興福寺も、東大寺も、春日大社も、拝観料を払わなくても大体見れてしまう。

それってみんな普通のことに思いがちだけど、こんなに社会的共通資本があるところ、実は他にないんですよね。それも奈良の特徴だと思います。

長田:ああ、確かにそうですね。それでいうと、奈良は朝がすごく良いですよね。奈良公園を歩くと、人が全然歩いていなくて、鹿しかいない。だから、自分の庭を歩いているような感じがします。

「奈良はナイトレジャーが少ないからなかなか泊まらない」と言われていますけど、朝6時なんかに歩くと、ものすごい光景が見れる。宿泊の目的はナイトレジャーではなく早朝の散歩なんだと言えるくらい、魅力があると思いますね。

福野:そういった魅力を理解してくれる人が、年に何回かは「奈良に行かなあかん」と思ってくれたらいいですね。これからもセトレがその入り口になってくれるだろうと思っています。

取材・文:土門蘭
撮影:岡安いつ美