
琵琶湖に比叡山と自然がたくさんの滋賀県。そんな滋賀県は京都と隣接していることもあり、滋賀にゆかりのある歴史上の有名人がたくさんいるのは案外知られていない事実かもしれません。
今回は、意外と知られていない滋賀にゆかりのある歴史上の人物と、その生き様や功績をわかりやすくご紹介します。知っているともっと滋賀巡りが楽しくなる歴史上のエピソードもお届けします。
滋賀県の歴史
現在は滋賀というと、「琵琶湖」を中心としたレジャーや、緑あふれる自然の多い環境で、ファミリー層にも人気の居住エリアとなっています。しかし、かつての都があった京都に近いため、歴史的には意外に知られていない重要な局面は実は滋賀での出来事、ということも多いのです。
例えば飛鳥時代の667年に、のちの天智天皇である中大兄皇子が近江大津宮へ遷都したのは、歴史的にも有名で皆さんご存じかもしれませんね。また紫式部が執筆した源氏物語、こちらは滋賀県の石山寺で筆をとり始めたと言われています。このように知っていると、一段と滋賀巡りが楽しくなる歴史的な「へぇ~!」がたくさんの滋賀。
実は、現在でいう「滋賀県」は、廃藩置県を経て1872年に誕生しました。ちなみに、1876年~1881年までは今でいう福井県である「若狭」と「敦賀」も滋賀県に含まれており、日本海側までとかなり広範囲だったようです。そんな滋賀県、以下からは滋賀にゆかりのある人物を5人ご紹介していきます。
滋賀に縁のある人物1:織田信長
まずは誰もが知る歴史上の人物からご紹介しましょう。戦国時代の武士と言えば、必ず名前が挙がる織田信長。天下統一を目指し、桶狭間の戦いで今川義元を打ち破り、勢力を拡大するも家臣の明智光秀からの下剋上で、最後は自害に追い込まれるというのは皆さんご存じの通り。
そんな歴史的な有名人である織田信長、出身は今でいう愛知県ですが、実は滋賀にゆかりがあるのをご存じでしたか。
いにしえの都は京都。その京都と隣接した現在の滋賀県である近江の国には、戦国武将たちが築いた城がたくさん。もちろん天下統一の足掛かりとして、信長も近江の国に城を築きます。天正7年に築城されたのが「安土城」です。
今でいう琵琶湖の湖東、JR安土駅からほど近い安土山にあった安土城。本能寺の変ののち放火されたため、現在は城跡としてしか見ることができません。そのため「幻の城」とも呼ばれています。城跡と言えども、石垣や長く続く石畳の階段は、立派!その当時の信長の勢いと権力を感じることができるのではないでしょうか。
天守台跡から見える琵琶湖の風景は、きっと天下統一を目指した信長も見た景色でしょう。
滋賀に縁のある人物2:浅井長政
続いては、滋賀県出身の戦国武将をご紹介します。実は、この浅井長政は滋賀県近江八幡市の出身。
29歳という若さでこの世を去る短い生涯ながら、浅井家の最盛期を築きドラマチックな人生模様からたびたびドラマや映画、小説といったなかで描かれていることが多い人物です。そのためご存じの方も多いはず。
簡単に歴史的なストーリーをご紹介すると、同盟を組んだ織田信長の裏切りにより、かつてからの親交がある朝倉家につくか、同盟先の織田家につくか究極の選択を迫られます。しかし、妻であるお市の方は同盟を結んでいる織田信長の実妹。ですが、織田家を切り捨てるという苦渋の決断をする浅井長政。
当然、信長は激怒し浅井に攻め込みます。その結果、長政は29歳で自害するという結末を迎えることに。そんな浅井長政が最後を迎えたのは、今の滋賀県長浜市にある「小谷城」。堅牢な山城として現代の城マニアの中でも、高い人気を誇る城として知られており、戦国一の美女として名高い妻である、お市の方との別れの舞台ともなった場所でもあります。
決して妻のお市の方と仲が悪かった訳ではなく、むしろ夫婦仲は良かったとも言われています。それでも生き残りをかけた戦国時代、愛する家族との別れを余儀なくされつつも戦い抜いた姿に女性ファンも多くいう武将の一人です。
滋賀に縁のある人物3:石田三成
続いても滋賀にゆかりのある戦国武将をご紹介します。先ほどご紹介した織田信長が天下統一を目指した時から少し時代が流れ、真の天下統一を果たした豊臣秀吉の臣下として有名な、石田三成。
秀吉の政権下では、五奉行の内の一人としても活躍しました。武闘派というよりは、「太閤検地」など豊臣政権の政務面で大きく貢献した頭脳派と言われており、歴史好きな女子の間でも人気が高い武将の一人ですね。実は、この石田三成は生まれも育ちも滋賀。今でいう滋賀県長浜市石田町で産声を上げました。石田三成が誕生した長浜市の屋敷跡には、現在「石田会館」という石田三成の生涯を辿る歴史館もあり、その近くには産湯に使われたという井戸も残っています。
三成の人生の中でも、ターニングポイントともいえる秀吉との出会い。その時その時の状況を瞬時に判断し、ベストな気遣いを見せた三成。この有名な「三献の茶」のストーリーがありますが、この出会いも実は滋賀県での出来事と言われています。
その場所は滋賀県米原市にある大原観音寺。ここで秀吉と出会い、臣下として天下統一を支えていくストーリーが始まった歴史的な場所とも言えますね。
滋賀に縁のある人物4:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
続いては、滋賀にゆかりのある外国人をご紹介します。ウィリアム・メレル・ヴォーリズは1880年生まれのアメリカ人。もともとは英語教師として来日しましたが、名前だけ聞くといまいちピンとこない人がほとんどかもしれませんが、実業家、建築家、キリスト教伝道師、はたまた音楽家などの様々な活動を滋賀県近江八幡市で行ってきた人物であります。
もっと身近な例で言うと、実は家庭用常備薬として有名なメンソレータムを日本に広めたのがウィリアム・メレル・ヴォーリズ。一度はお世話になったことがある人も多いのではないでしょうか。近江兄弟社の創始者の一人としてしても知られています。
また、別の顔として建築家としても有名。特に関西一円にはウィリアム・メレル・ヴォーリズが携わった建築が多くあり、滋賀県近江八幡市には、「吉田悦蔵邸」、「ダブルハウス」といったヴォーリズ建築群もあり、建築好きにとっては滋賀中心にヴォーリズ建築巡りをするのもたまらないかもしれませんね。
滋賀に縁のある人物5:淀殿
最後に、滋賀にゆかりのある女性をご紹介。淀殿は戦国の世に生まれ、時代の波に飲まれつつ生きた女性としても有名で、そのドラマチックな人生模様に魅了される人も多い姫のうちの一人ではないでしょうか。そんな淀殿は天下人「豊臣秀吉」の側室として有名ですが、その前にその生い立ちからご紹介します。
淀殿の生まれは、滋賀県長浜市。先ほどご紹介した浅井長政とその妻、お市の方との間に生まれます。本名は「茶々」といい、実姉に「初」、実妹に「江」とこちらも大河ドラマで描かれることもあり有名ですね。その浅井姉妹の真ん中の姫として育ちます。しかし、織田信長から攻められ、父である浅井長政とは小谷城で死別。小谷城は、長政にとっては大切な家族である妻子との今生の別れの場となった悲劇の場所でもあったのですね。
その後、母であるお市の方と浅井3姉妹は織田方から救出され、伯父である織田信長から手厚い保護を受けながら暮らします。しかし、織田信長が本能寺の変で死去。信長の家臣である柴田勝家と再婚した母、お市の方についていくものの、賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に破れ、母は柴田勝家と自害。またしても肉親を自害という形で失った茶々。しかし、この時秀吉によって保護され、1588年頃秀吉の側室となったと言われています。以後淀殿と呼ばれるようになります。
このようにざっと説明しただけでも、悲劇の別れを繰り返し、その中で生きていた淀殿。戦国の男性社会に翻弄された印象が強く、現代とは違う女性の人生模様に色々感じるところもあるのではないでしょうか。
滋賀の歴史を感じて滋賀を楽しもう
今回は、戦国時代を中心とした滋賀の歴史的人物をご紹介しました。琵琶湖の周辺には、戦国時代を強く感じるお城や城跡が多く残されています。自然も多く、当時の人たちが見た景色と近い思いを馳せる瞬間を味わってみるのもいいかもしれません。
そんな歴史を感じながら滋賀の町を楽しんでみてはいかがでしょうか。
SETRE MARINA BIWAKO
住所:滋賀県守山市水保町1380-1
TEL:077-585-1125
営業時間:
【 ホ テ ル 】火曜定休(祝日・夏期・年末年始除く)
【ブライダル】平日12:00-19:00/土日祝10:00−20:00/火曜・水曜定休
http://www.hotelsetre.com/biwako


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