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2021/05/12

意外と知らない?奈良に縁のある歴史上の人物をご紹介。

日本有数の観光地として人気の奈良。仏像や神社仏閣はもちろん、近年では趣あるならまち界隈のおしゃれなカフェや雑貨店も人気で、奈良を訪れる際には絶対外せない!という人も多いはず。

しかし、もっと奈良巡りをディープに楽しむなら奈良にゆかりのある歴史上の人物に目を向けてみるのもおすすめです。なぜなら、奈良は皆さんご存じの通り歴史の長い都。そのため歴史的にも有名な人物がたくさんいます。

今回は奈良にゆかりのある歴史上の人物と、その人物にまつわるあれこれをまとめました。

奈良県の歴史を簡単に紹介

言わずとも知れた日本の古都、奈良。皆さんご存じの通り、いにしえの日本の中心は奈良。中国から仏教が伝わったのも奈良と言われており、諸説ありますがその伝来は552年とも言われています。そんな奈良の歴史は古く、3世紀の卑弥呼が治めていたと言われる邪馬台国の有力候補地としても名が挙がっています。

聖徳太子が政務を行っていた飛鳥時代、710年からは平城京に遷都され奈良時代が幕を開けました。794年に今の京都である平安京に遷都されるまで、日本の中心として栄えたのはご存じの通りです。政治面での中心地であったことはもちろんですが、文化、芸術面でも興隆を見せたのは間違いありません。

日本最古の歴史書といわれる「古事記」、39年と長い期間をかけて編纂された「日本書紀」がつくられたのもこの奈良時代です。日本における本格的な政治・文化の幕開けとなった奈良の地。以下からは、そんな奈良にゆかりのある人物にぐっと迫っていきます。

奈良に縁のある人物1:聖徳太子

出典:Wikipedia「聖徳太子」

まずは言わずとも知れた人物からご紹介。奈良の歴史的人物といえば、真っ先に思い浮かぶ人も多いことでしょう。

7世紀前半に起こった、日本で最初の仏教文化が色濃い飛鳥時代。その地時代の中心となったのが、聖徳太子です。

聖徳太子は、用明天皇の皇子なので、つまり皇族です。叔母である推古天皇を助けながら国政を担いました。十七条の憲法を制定したことでも有名ですね。ちなみに聖徳太子といえば、一度に10人の話を聞き分けたなどの伝説でもおなじみかもしれません。

当時は天災や疫病が多く、仏教の力で国を護ろうと仏教の興隆に力を尽くし、法隆寺や四天王寺を建立しました。この法隆寺は、飛鳥時代を象徴する木造建築で1993年には日本のお寺で初めて世界遺産に登録されたもの。特に西院の金堂・五十塔などは世界最古の木造建築として一見の価値ありです。

こうした歴史的背景を知ってみてみると、また違った風景が広がるかも!観光をよりディープに楽しむ秘訣かもしれませんね。

奈良に縁のある人物2:藤原不比等

出典:Wikipedia「藤原不比等」

藤原氏というと藤原道長をはじめとし、平安時代に多大な影響力と権力を握っていた一族ですが、平安時代に続くその藤原氏繁栄の基礎を築いたといわれるのが、この藤原不比等。

自身は、大化の改新のキーパーソンである藤原鎌足の次男として659年に誕生しました。のちに、娘の宮子を文武天皇に、光明子を聖武天皇に嫁がせることで天皇家と外戚関係を結び、藤原氏としての権力を強めていくというやり手の政治家ともいえるでしょう。

そんな藤原不比等は、世界遺産である興福寺を建立したことでも知られています。表情の異なる3つの顔、6本の腕が印象的な「阿修羅像」をはじめとする国宝仏の宝庫で、仏像好きであれば必ず訪れたいスポットでもあります。

この興福寺は、藤原氏の氏寺。平城京遷都後建立されましたが、奈良を見下ろせる景勝地に建っています。まさにこの場所から奈良を見渡していたのではないでしょうか。

奈良に縁のある人物3:聖武天皇

出典:Wikipedia「聖武天皇」

続いても奈良を語る上で、欠かせない人物をご紹介します。奈良と言えば、大仏様。その”奈良の大仏様”がいらっしゃるのが東大寺です。修学旅行で訪れたことがある人も多いのではないでしょうか。

そんな東大寺は、世界遺産としても有名で奈良のシンボルともいえるお寺です。その東大寺を建立したのがこの「聖武天皇」です。

聖武天皇は24歳の時に45代目の天皇として、724年に即位します。当時、疫病や飢餓、また貴族同士の争いなど国は不安定な状態が続いていました。その状態を改善すべく、恭仁京、難波宮、紫香楽宮へ遷都するも国は安定せず。そこで仏教の力で国を護ろうと、建てたのが東大寺という訳です。それと同時に全国にも「国分寺」、「国分尼寺」を建立。奈良だけでなく、世の中が広く治まることを願っていました。

ちなみにこの奈良の大仏、諸説ありますがつくり上げるまで延べ260万人以上が動員されたと言われています。当時は全て人力だったことでしょう。そう思うと、より圧倒されてしまいそうです。

奈良に縁のある人物4:正岡子規

出典:Wikipedia「正岡子規」

続いては、奈良にゆかりのある文化人をご紹介します。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句でおなじみの俳人、正岡子規。横顔の写真は、きっと歴史や国語の教科書で見たことがある人が多いのではないでしょうか。

俳句や短歌の歌人として活躍していた正岡子規ですが、生まれは愛媛県松山市。愛媛県松山市というと作家の夏目漱石の小説「坊ちゃん」の舞台となる地ですが、その夏目漱石とも友人だったようです。

そんな正岡子規と奈良の地には次のような関係が。日清戦争の従軍記者として中国に渡っていた子規。明治28年に日本へ帰ってきますが、肺結核を患っていたため故郷の松山で療養をしす。そして友人である夏目漱石から10円を借りて奈良を巡ったというエピソードが。

そんな子規は奈良の老舗旅館「對山楼」に滞在し、東大寺をはじめとした奈良の名所を巡ったようです。對山楼は現在廃業してしまったため、建物はありませんが子規が見たと思われる「柿の木」は残されているのです。この木は現在、奈良にある「日本料理天平倶楽部」の敷地内にあり、四季折々の表情をみせてくれる日本庭園として現代の人々の目を楽しませてくれています。

ちなみにこの庭園、10時から16時の間は無料で自由に散策することができるので、子規が見た景色に思いを馳せながらゆっくりとした時間を楽しんでみてはいかがでしょうか。

奈良に縁のある人物5:志賀直哉

出典:Wikipedia「志賀直哉」

続いても近代の歴史的な人物をご紹介。白樺派として有名な作家である志賀直哉。明治16年生まれで昭和にかけて長く活躍する日本を代表する作家の一人です。芥川龍之介や小林多喜二など多くの作家に多大なる影響を与えたと言われており、「小説の神様」とも言われる存在。「暗夜行路」、「城の崎にて」など代表作が多くあり、一度は読んだことがある人も多いかもしれませんね。

そんな志賀直哉ですが、実は生まれは宮城県で育ちは東京。大正14年に古くからの友人の誘いで、奈良県幸町に居を移します。その後、昭和4年には春日大社の南側の高畑に転居。この家は今も「志賀直哉旧居」として残っており、昭和の文豪が過ごした日々を垣間見ることができますよ。

ちなみにこの家、志賀直哉自身が設計し数寄屋造りを基調としながらサンルームなど洋風な設備も取り入れられており、今見てもモダンで素敵。おしゃれなカフェやショップも多いエリアなので、ぶらりと立ち寄ってみるのもおすすめです。

奈良の歴史を感じて、奈良を楽しもう

長い歴史と文化が詰まった奈良。一般的な観光も楽しいですが、その歴史や奈良にゆかりのある人物を知ると、より一層充実度は増すものです。

大人の奈良旅において、ちょっとした歴史の知識があるとぐっと深みが増しますよ。古都奈良は政治の中心だったため、ゆかりある歴史上の人物はまだまだたくさん!何度訪れても新しい発見があるはず。ぜひそんな知識を携えて、奈良を訪れてみてくださいね。

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