
周囲を穏やかな海に囲まれ、港町として栄えた長崎の街。今もなお異国情緒ある建物が建ち、当時の歴史が色濃く残っています。
今回は、長崎県に縁のある歴史上の人物をご紹介したいと思います。
長崎県の歴史を簡単に紹介
長崎の歴史は1500年代に遡ります。1550年代に初めてポルトガル船が入港し、聖フランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教を展開しました。キリスト教の布教とポルトガルとの貿易活性により、長崎の街は栄え、教会や洋風建築が立ち並び、華やかな西欧の文化が広まります。
しかし1600年代になるとキリスト教に対する弾圧が強まります。キリスト教が広まることを恐れた幕府はキリスト教の信仰と布教を禁じる「禁教令」を発し、宣教師やキリシタンは弾圧されました。そんな中でもひっそりと信仰を続けたキリシタンは「潜伏キリシタン」とよばれ、宣教師がいない中でも教えを守り続けていました。当時の潜伏キリシタン関連の遺産は長崎に現存し、世界遺産となっています。
その後約200年間、日本は鎖国時代となり、海外との交流が禁じられしたが、唯一長崎県の出島は貿易の窓口としてオランダと中国との交易が許されていました。その結果、西欧・中華・日本を融合した独特の文化が育まれ、異国情緒あふれる雰囲気は今でも長崎の街で感じることができるのです。
長崎に縁のある人物1:シーボルト
出典:Wikipedia「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」
「医学」はオランダとの交易で伝わった学問です。1823年に来日したシーボルトは、「鳴滝塾」という医学教育のための学校を開設し、最先端の西洋医学を日本に伝えました。
しかし1828年に、当時持ち出し禁止であった日本地図などをオランダに持ち帰ろうとした罪で、シーボルトは国外追放、再渡航禁止となってしまいます。その後日本が開港し、再び日本に訪れたシーボルトは追放前からの最愛の恋人「お滝さん」と結婚。日本で研究を続けました。
「シーボルト記念館」は「鳴滝塾」隣接地にあり、シーボルトに関する約200点の資料が展示されています。6月頃にはシーボルトが「おたくさ」と最愛の妻の名前を名付けた紫陽花が鮮やかに咲き誇ります。
長崎に縁のある人物2:ド・ロ神父
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のうち、長崎市内には3つの構成遺産があります。そのうちの2つが外海地区にある「外海の出津集落」、「外海の大野集落」です。これらの遺産を語る上で欠かせない存在がフランス人宣教師マルコ・マリー・ド・ロ神父です。
ド・ロ神父は1879年に外海地方に赴任してきました。布教だけではなく、産業・建築・医療など様々な分野に奉仕し、外海の人々に生涯の全てを捧げます。
「外海の出津集落」は、禁教下の中でもキリスト教信仰がひっそりと受け継がれてきた地。キリスト教解禁後、ド・ロ神父は私財を投じ、信者と協力してこの地に「出津教会堂」を建立しました。
海に面した屋根が低い木造の平家造りで、漆喰塗りの真っ白な外壁がとても美しい教会です。鐘楼の鐘は神父がフランスから取り寄せたもの。響く鐘の音を教会で聞きながら、心静かに当時の歴史に想いを馳せたいですね。
「出津教会堂」の他にも外海地方には様々なド・ロ神父ゆかりの遺跡があります。
長崎に縁のある人物3:トーマス・ブレーク・グラバー
トーマス・ブレーク・グラバーは、開国直後に長崎にやってきた貿易商人です。日本で貿易会社「グラバー商会」を設立し、日本の近代化に貢献しました。
主に日本茶などを西洋に輸出するビジネスの他、西洋から武器などを輸入し、坂本龍馬を主とした倒幕派の連合軍を顧客にします。それらの武器を使って見事連合軍は倒幕を果たすことになったので、明治維新を陰で支えていた人物とも言えるでしょう。明治維新後は、事業家としても活躍。グラバーが横浜にある醸造所を購入して設立した「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」は現在の「キリンビール」の前身です。
また、来航翌年には海が一望できる丘の上に「グラバー邸」を建設しました。日本の伝統的な建築洋式と西洋の洋式が融合した優雅な邸宅は、現存する日本最古の木造西洋建築です。グラバー邸の他、当時の有名貿易商人らが暮らした邸宅が残る「グラバー園」では、グラバーを始めとする日本の産業と近代化に貢献した人々の当時の「ハイカラ」な暮らしぶりを感じることができます。
長崎に縁のある人物4: 坂本龍馬
幕末の偉人として有名で人気の高い坂本龍馬。1864年に師匠である勝海舟に率いられて初めて長崎に訪れたと伝えられています。
その頃の日本は鎖国下で、外国の文化は取り入れない思想。そんな中で海外の文化を取り入れたい開国派である勝海舟をとても慕っていました。当時日本で唯一海外との貿易を行っていた長崎。坂本龍馬にとっては、新たな世界が広がるロマン溢れる地だったのでしょう。
その後何度か長崎を訪れた坂本龍馬は、日本初の商社である「亀山社中」を立ち上げます。歴史上の人物3で紹介したグラバーとは縁が深く、二人で協力して武器調達を行い、後に倒幕の鍵となる「薩長同盟」の締結に貢献したとされます。「亀山社中記念館」は坂本龍馬ファンにはたまらない、当時の資料などが数多く展示されてます。
長崎に縁のある人物5:上野彦馬
上野彦馬は、幕末から明治にかけて活躍した日本最初の写真家です。外国との交流が盛んであった長崎の地で、西洋の写真技術を学びながら、独自で写真技術を開発し、「上野撮影局」という写真局を開局しました。
上野彦馬が撮った写真として有名なのが坂本龍馬の写真です。坂本龍馬が台に肘をついたポーズをしている写真は誰もが一度は見たことあるはず。他にも高杉晋作、伊藤博文など様々な偉人の写真が上野撮影局にて撮影されました。それまでの日本には写真技術は無く、出来事や風景、人物は絵を描くことで残していた時代。まさに日本写真史の幕を開けた人物と言えるでしょう。
人物写真以外にも当時の長崎の写真を数多く撮影していました。「長崎市古写真資料館・埋蔵資料館」にはそのうちの何枚かが展示されており、上野彦馬の目に映った幕末の長崎の様子を写真を通して見ることができます。
まとめ
長崎の歴史を辿ると、長崎は西洋文化に先駆け、当時の「最先端」が集まっていた地であること。そして歴史の節々にキーパーソンとなる人物がいることが分かります。そして今もなお、長崎の街には色濃くその歴史が残っています。長崎にゆかりの深い歴史上の人物について知れば、長崎の歴史をより感じることができ、旅がより一層思い出深いものになりますよ。
SETRE Glover's house NAGASAKI
住所:長崎県長崎市南山手町2-28
TEL:095-827-7777
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【 ホ テ ル 】火曜定休(祝日・夏期・年末年始除く)
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