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2020/08/22

意外と知られていない!?長崎・軍艦島の歴史と見所

長崎を代表する人気観光スポット「軍艦島」。その珍しい愛称は、一度は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。名前から戦艦や軍隊を連想してしまいがちですが、実は日本の近代産業を支えた歴史的重要地だったのです。

今回はあまり知られていない軍艦島の歴史や見所をお伝えします!島の見学はできるの?アクセス方法は?と気になる疑問にもお答えします。長崎観光のプランにぜひ軍艦島をチョイスしてみてはいかがでしょうか!?

軍艦島の由来は?

実は軍艦島は正式名称ではありません。この島の本来の名前は「端島」(はしま)と呼ばれています。昔からすっかり軍艦島として定着しているので、意外と知らない人は多いかもしれませんね。

では、いつから軍艦島の愛称で呼ばれるようになったのでしょうか。それはある一枚の写真がきっかけでした。1921年に現在の長崎新聞が端島の全景写真を誌面に載せると、鉄コン筋クリートの集合住宅がぐるりと島を囲む姿が、当時三菱造船長崎造船所で建造されていた戦艦「土佐」に似ていると多くの声が上がりました。これを機に、端島は軍艦島の愛称で親しまれるようになったのです。

1918年の建造開始から航空母艦に改造を期待されるも、1922年のワシントン海軍軍縮条約により建造中止となった土佐は、最終的に自沈処分されてしまいます。しかし、「土佐は沈んでいない、どこかに隠されている!」と当時の少年たちは、好奇心旺盛な子ども心に火をつけたといわれています。

世界文化遺産に登録

日本のみならず海外からも軍艦島は廃墟の名所として人気があります。西洋の技術と日本の伝統文化が融合し、更なる発展を遂げた文化遺産として、2015年にはユネスコの世界遺産に登録されました。

この世界遺産の正式名称は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」で、山口、福岡、佐賀、熊本、鹿児島、岩手、静岡、長崎の各県にある鉄鋼、造船、炭鉱の文化遺産が含まれています。長崎は軍艦島のほかに、当時東洋最大の規模を誇った「三菱長崎造船所」、蒸気機関を使って鉱員や炭鉱を運んだ近代炭鉱開発の先駆けとされている「高島炭鉱」、日本最古の木造洋風建築として長崎を代表する観光名所「旧グラバー住宅」を含む7つのエリアが資産として登録されています。

いずれも造船所、炭鉱、洋館と長崎の歴史と風土が物語る文化遺産ですね。軍艦島は、島全体ではなく、明治時代につくられた岸壁と炭鉱を採掘するために海底に掘られた坑道のみ世界遺産に指定されています。坑道は非公開ですが、岸壁は補強のためコンクリートで覆われた部分が崩壊し、外から一部を見ることができます。

軍艦島の最盛期とその暮らしぶり

長崎港から約18km離れたところに位置する軍艦島は、東京ドーム5つ分と島にしては小さな規模ですが、最盛期には人口密度が世界一になったこともあります。幅160m、長さ480mの小さな島に1960年には5,200人と、当時の東京の人口の9倍もの人々が暮らしていたのです。

江戸時代後期に島で石炭が発見され、それから時を経て明治23年に本格的な石炭の発掘がはじまりました。良質な石炭は八幡製鉄所を中心に重宝され、隣接の高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきたのです。そして、その需要が高まると同時に島に移住する人の数も急激に増加し、住居、学校、病院、理髪店や映画館など島人のためにあらゆる施設が一気に設置されます。

1916年には日本ではじめての鉄筋コンクリートを使った集合住宅が建設され、これを皮切りに続々と高層アパートが建てられます。島はすっかり人口過密状態となり、これ以上移住者を増やすには住居を高層化する必要があったからです。そのため、建物の間隔はとても狭く必然的に人との距離感も近くなり、島全体が家族のように暮らしていたといわれています。

観光地として注目を浴びる軍艦島

最盛期にはあまりにも多くの人が移住したため、島の周りを何度も埋め立てて面積を拡大したほど繁栄しましたが、主要エネルギーが石炭から石油に変わると軍艦島は衰退の一途を辿らざるを得ませんでした。人口も2,000人に減少し1974年に完全に閉鎖され、遂には無人島になり今日に至ります。

2005年に長崎市の所有となった軍艦島は、2009年に島の上陸が許可され、今度は観光スポットとして人々の注目を集めることになります。近頃の廃墟ブームや世界遺産に登録されたことも人気に拍車をかけました。荒廃した島には建物をはじめ、当時の生活用品や家電がそのまま放置されており近代日本の発展を支え、時代に翻弄された島の暮らしぶりを垣間見ることができます。

神社、社宅、学校にはそれぞれ1から71号棟の番号がふられています。前途の日本初の鉄コン筋クリート製集合住宅は30号棟。となりの31号棟は、社宅でありながら1階には郵便局、地下に共同浴場や美容室もありました。1927年に建造された50号棟は、島人の娯楽の場として親しまれた映画館。福岡からフィルムを直送し、長崎市内よりはやく映画が公開されたので島外からも人気を博した場所です。島内で最大規模のアパートは65号棟。第二次世界大戦中に建設され、増築を経て317戸が入る10階建てのアパートが完成しました。最上階には保育園があったというから驚きです。

アクセス方法

軍艦島へのアクセスは、旅行会社のツアーに参加して行くことになります。個人で軍艦島に上陸することは条例で禁じられているのでご注意を。廃墟なので危険物がある可能性もあり、また波風の安全面からも島を訪れる人を守る必要があります。世界遺産なので島の保全のためでもありますね。それゆえ、長崎市は軍艦島の上陸日数を年間100日程度に定めています。

現在5つのツアー会社が軍艦島への上陸を許可されています。
軍艦島コンシェルジュ https://www.gunkanjima-concierge.com/
軍艦島上陸クルーズ http://www.gunkanjima-cruise.jp/
軍艦島ツアー https://www.gunkanjima-tour.jp/
軍艦島上陸周遊コース http://www.gunkan-jima.net/
アイランド号  http://www.7ebisumaru.com/cruise/

いずれも事前予約が必死なので余裕を持ってスケジュールを立てましょう。悪天候の場合、ツアーは中止となるので時間だけでなく天気のチェックも忘れずに。ツアー参加費は、4,000円前後をみておくといいでしょう。また、軍艦島の入場料として大人310円、小学生150円を支払います。各ツアー会社の出航時間や団体割引があるかなど条件を比較しながら、旅のプランにあったツアーを探しましょう。

まとめ

江戸時代から昭和まで時代に翻弄され、日本の近代産業を支えてきた軍艦島。その歴史はまさに栄枯盛衰といえます。過密を極めたかと思えば、時の流れとともに過疎になり遂には無人島に。しかし、その歴史の面影はやはり人を惹きつける力があり、貴重な文化遺産として世界遺産に認定されたのでした。

年間100日と少ない上陸日ですが、長崎を訪れた際にはぜひ足を運んでみたいですね!歴史や廃墟好きな方には堪らないスポットですが、そうでない方も島独自の空間に興味がわいてくると思います。天候やツアースケジュールを事前にチェックして、軍艦島にいざ上陸してみましょう!

セトレ グラバーズハウス長崎
SETRE Glover's house NAGASAKI
住所:長崎県長崎市南山手町2-28
TEL:095-827-7777
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【 ホ テ ル 】火曜定休(祝日・夏期・年末年始除く)
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