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2021/05/12

意外と知らない?姫路に縁のある歴史上の人物をご紹介。

姫路と言うと、まず真っ先に思いつくのが「姫路城」という位、全国的にも知名度が高いお城があるまちという印象が強い姫路市。兵庫県西部の中核都市であり、大阪から電車で1時間強という都市部へのアクセスの良さが魅力のまちでもあります。

そんな姫路をより深く知るために、今回は姫路に縁のある歴史上の人物をご紹介します。

姫路の歴史を簡単に紹介

そんな姫路の歴史は古く、大化の改新後には播磨国としての国府がおかれ、800年台には聖武天皇の命により国分寺が建てられるなど、中央政権の目の届く範囲であったことがうかがえます。

そして何より、姫路と言えば「姫路城」。室町時代になると播磨の赤松氏が姫山にとりでを築き始めます。当時は今のような城の形状ではなくあくまで”とりで”だったようです。

その後、天下統一の足がかりとして羽柴秀吉ら戦国大名らの手により姫路城築城がすすみます。私たちが目にしている姫路城の姿の原型となったのは、1617年のこと。つまり400年以上の歴史あるお城というわけです。当時の播磨国は、陸路、海路ともに押さえておきたい重要拠点であり、まさに群雄割拠でした。

では、以下からはそんな姫路にまつわるゆかりある人物にフィーチャーしていきます。

姫路に縁のある人物1:黒田官兵衛

出典:Wikipedia「黒田孝高」

大河ドラマにもなり、一気に知名度が上がった戦国大名の黒田官兵衛。歴史に疎くて・・・という人でも一度は名前を耳にしたことがあるのではないでしょうか。黒田如水、黒田孝高とも呼ばれており、戦術に長けた人物として知られています。

そんな黒田官兵衛は1546年に姫路で誕生しました。当時姫路城は黒田家が治めており、1567年に官兵衛が家督を継いだのち、秀吉の西国統治のための拠点として姫路城の献上を申し出ます。そこからは姫路城は秀吉が城主となりますが、官兵衛は豊臣秀吉の参謀として活躍していきます。よく知られているのは、敵の食糧補給ルートを断つ「兵糧攻め」、現在の岡山城への「水攻め」といったところでしょう。智将として秀吉の右腕となって活躍を見せていました。

また、当時側室を持つのが当たり前だった時代ですが、官兵衛は光姫(てるひめ)という妻のみをめとり、今でいう愛妻家であったことも有名です。知性があり、そして生涯一人の妻だけを愛す姿勢に女性ファンも多い武将です。

姫路に縁のある人物2:豊臣秀吉

出典:Wikipedia「豊臣秀吉」

言わずともしれた戦国大名の豊臣秀吉。天下統一を成し遂げた有名人ですが、秀吉と言うと「大坂城」というイメージという人も多いでしょう。先に紹介した黒田官兵衛から西国制圧の拠点として、姫路城の献上を受け姫路城の城主となった経緯があります。

そして実は、「姫路城」と呼ばれるようになったのは秀吉の時代から。それまでは”姫山にある山城”といった具合で、あくまで土塁を築いた”とりで”という姿だったようです。秀吉はそこに石垣を積み上げ、堅牢な3層4階となる姫路城をつくり上げます。ただ、今のような真っ白で優美さを感じる城ではなく、天守全体が黒くまさに質実剛健といった佇まいだったようです。

本能寺の変後、明智光秀を討ち取った秀吉は、この姫路城を足掛かりに天下統一を成し遂げたため「出世城」とも呼ばれています。そしてこの姫路城を後にしたのち、大坂城を本拠地と定めました。

姫路に縁のある人物3:池田輝政

出典:Wikipedia「池田輝政」

姫路城を語る上で欠かせない人物をもう一人ご紹介します。1600年から1612年まで姫路城主となり、現在の姫路城の基礎をつくった一人とされているのがこの池田輝政です。

池田輝政は、実は愛知県の出身の武将で、父は織田信長の重臣であった池田恒興。父と共に自身も信長に仕えていました、信長の死後は秀吉に仕え、さらに秀吉の死後は徳川家康に仕え、生涯を通じて天下人に身を捧げました。そんな池田輝政と姫路の関係ですが、関ヶ原の戦以降の1600年に姫路城主となった輝政。その翌年の1601年から城の大改築に着手します。

城漆喰の城壁に、天に近づくほど小さくなる天守と美しい造形が特徴的で、先ほどご紹介した秀吉時代の姫路城とは、全く異なる壮大で優美な城となりました。ちなみにこの姫路城、ただ美しいだけでなく天守閣に攻め入るまでの経路が非常に入り組んでおり、複雑。さらに敵を迎え撃つため壁に開けられた挟間は、当時何と3125箇所も!

現在では白鷺城と呼ばれるほどの美しさが表立っている姫路城ですが、当時は軍事的にも非常に攻めずらい機能的な城であったことがわかります。

また、輝政は姫路城下町、加古川の河川開発など現在でいう土木事業や都市開発といったものにも尽力します。姫路城の大改築には約9年の年月を費やし、姫路城が完成してから4年後に輝政は息を引き取ります。

姫路に縁のある人物4:千姫

出典:Wikipedia「千姫」

続いても姫路城に関わりのある人物をご紹介。戦国時代に翻弄されながらも、生きた女性をご紹介。

1597年に生まれた千姫。父は徳川秀忠、母はお江、そして祖父は徳川家康という生まれながらのお姫様。千姫は本多忠刻と結婚し、姫路城に入城し、暫くの間姫路城で暮らしていました。

今までに何度もドラマや映画に取り上げられ、最近ですとNHK大河ドラマの「真田丸」にも登場しました。

姫路に縁のある人物5:高田賢三

出典:Wikipedia「高田賢三」

最後は今後姫路の歴史的人物といわれるであろう人物をご紹介します。「KENZO」でおなじみのファッションデザイナーの高田賢三。2020年10月にパリでその生涯を終えたニュースに驚いた人も多いのでしょうか。

実は、高田賢三も姫路市出身です。1970年代に世界で成功を収めた日本人デザイナーの一人で、色柄の多用など、当時のパリのファッションの概念をぶち壊す様なインパクトで一気にパリの人気ブランドとなりました。そしてのちに続く日本人ファッションデザイナーの道を切り開いた人物でもあります。

そんな高田賢三は、1939年生まれで高校卒業までは姫路市内で過ごしました。高校卒業後は服飾を学びたいという気持ちがあったものの、当時男子を受け入れてくれる服飾学校はなかったため、神戸市外国語大学へ入学。

しかし、東京の文化服装学院で男子生徒の受け入れを開始すると同時に、親の反対を押し切り上京。文化服装学院で念願のファッションを学びます。その時の同期がコシノジュンコ、NICOLEの松田光弘、ピンクハウスの金子功といった豪華な面々。実力派ぞろいだったことから「花の9期生」とも呼ばれています。

最近では日本の若者の間でもケンゾーブランドが人気を集めていたこともあり、「KENZO」は再び注目を浴びています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。姫路城という建物を中心に、姫路に縁がある歴史上の人物は多く存在します。

姫路のことをもっと知って、姫路の旅を楽しみましょう!

セトレ ハイランドヴィラ姫路
SETRE Highlandvilla HIMEJI
住所:兵庫県姫路市 広嶺山224-26
TEL:079-284-3010
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【 ホ テ ル 】火・水曜日定休(祝日・夏季・年末年始除く)
【ブライダル】平日12:00~19:00/日祝10:00~20:00/火・水曜日定休
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